バリ島旅行記
Journey
1997年4月バリ島へ
1997年7月バリ島 へ
1997年8月バリ島 へ
1998年2月バリ島旅行記へ
1998年4〜5月バリ島 へ
1996年(平成8年) 10/30〜11/4 日程6日間
*
旅行代理店に代金支払\150,000。関西空港施設使用料\2,600。関西空港への交通費(略)。
10/30
(水)
南海電鉄・特急ラピートにて、関西空港へ。
関西国際空港。
12:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
(中略)。
現地時間17:45、ングラライ国際空港(デンパサール)着。
空港出口で、今回ツアーの、現地係員(Rツアー社・ガイド)の出迎えを受け、送迎車に乗り込む。
出発。車はウブッの「ホテル・チャンプアン」へと向かう。
やがて、車はウブッに入り、一本の、暗い田舎道をひた走り、
チャンプアンのホテルに到着した。
このホテルは、道路際近くにフロント(受付)が在り、ホテル全体が、チャンプアン渓谷の"斜面上"という感じである。
フロントを抜ければ、すぐに、径は下りとなる。
"部屋"は、『ひとつの棟(平屋)に、独立した「部屋」が2連(別々の客室)』というタイプが、比較的多く見られた。
アップダウンの激しい階段状の小径の、左右斜め上下(笑)に、大小の"部屋"(バンガロー風)や東屋風の建物が点在する。
チェックインした部屋の前では、蛍が…。
後で、一度、フロントからこの部屋迄の径を辿ってみようとするが、
夜で暗いのと、径が迷路の様に感じられて、すぐにわからなくなり、あきらめて部屋に戻る。
部屋は、「古イガ、広イ」という感じで、
入口は、バリ島の宿では珍しい、大きな透明ガラスの入った引き戸で、
窓も、採光を考えてか、大きくとられ、同様のガラスがはめられていた。
部屋前
(軒下)のテーブルや椅子、室内の椅子なども竹製であり、
部屋の、網代天井も、なかなか味がある。
風呂場(この表現が適す)の浴槽も、床からの段付きで、
ロータイプの、造り付けであった。
クラシカルとノスタルジックの入り交じる、素朴な感じの、落ち着いた部屋である。
まあ、最新のバリ島のホテル(傾向)しか知らない人の一部から見れば、
好みの別れるところではあろうが…。
冷蔵庫は無し。クーラーも無く、ベッドの真上
(天井)には、シーリングファンが1台。
尤も、涼しかったので、冷房装置があったとしても使わなかったであろう。
入浴しようと、裸になったら、寒いくらいであった。
「ホテル・チャンプアン」
泊。
*
ホテル チャンプアン Hotel Tjampuhan : Jl.Raya Campuhan Ubud,Bali
10/31
(木)
ホテルで朝食。
本日午前中は、Ubud観光
(今回のツアーに付いている)である。
ホテルより、Rツアー社の車で出発。
ウブッ市場
(Pasar Ubud)で、バリカレンダーを購入。2,000.ルピア。
↓
プリルキサン美術館(入館)
<プリルキサン美術館の庭>
↓
<モンキーフォレスト>
モンキーフォレスト などをまわり、
↓
昼食は、クデワタンの
「Kupu-Kupu Barong Restaurant(クプクプバロンレストラン)」へ。
クプクプバロンにて、昼食時、
アクア(AQUA)代、4,200.ルピア(税サ共)。
<「クプクプバロンレストラン」よりの眺望>
アユン川が見える。
車で、
ホテルに戻る("午前の「観光」"終了)。
<「ホテル・チャンプアン」の部屋前
(軒先)>
ホテル
から、ジャランジャランで、
プリサレンアグンとウブッ市場の辺り(ウブッの町の中心)へ。
「プリサレンアグン」で、
今夜7時半からの「Gabor Dance(ガボールダンス)」のチケットを買う。
「Tino Drug Store」などで、買い物をして、ジャランジャランで、ホテルに戻る。
夕方、部屋に居たら、突然、トッケが啼きだす。少しの間だが、啼き続けた。
マンディを済ませ、バティックの
Sarungを身に付けて、プリサレンアグン迄歩いて行く。
雨が降った後なので、今夜の「
Gabor Dance」の会場は、プリサレンアグン(野天)から、
隣の劇場(屋根有り)側に変更された。
早めに会場に行くが、これまた早々にやって来た白人連中に、やたら話しかけられる。
席の事やら、なんやらかんやら。
どうやら、こちらの格好(服装)から、現地(会場)の関係者と思われたらしい。白人の目からみれば、区別がつきにくいのだろう。
小生の左隣席に座った、スイスから来たという若い女性(なかなかの美人)に、
「日本から来た、(私も)観光客だ」と答えたら、彼女は、わあ!と破顔一笑した。
午後7時半開演「
Gabor Dance (ガボールダンス)」於 プリサレンアグンの劇場
←
<Kijang(キジャン)>
「黄金の鹿」の舞。
←
<JAUK(ジャウッ)>
ダンス終了後、
ラヤウブッ通りの
「Ubud Music」で、JegogとRindikの音楽テープ計2本(1本6,000.ルピア)を買い、
歩いてホテルへ帰る。
<泊まった部屋前で>
「ホテル・チャンプアン」
泊。
11/1
(金)
ホテルで朝食。
午前中、モンキーフォレスト通り迄、ジャランジャラン。
「P.T.Partha Sedana」という店で両替。\1:Rp.20.30。
「Tino Drug Store」で、ドリンキングウォーター「Safe」1,500.ml ペットボトル、1,200.ルピア。他、を買う。
ホテルに戻ってチェックアウト。
<「ホテル・チャンプアン」>
フロント(受付)付近より眺める。
部屋からフロント迄、ポーターに、トランクを運んでもらうのだが、
起伏のある地形の為、ポーターが荷物を背負って階段を歩む。
滞在中よく話をした、感じのいい従業員だったのと、
ただゴロゴロ押して行くだけのポーター仕事とは一寸違うので、
気持ちばかりのチップを渡す。
渡す時、「僅かだが」と言うと、彼は礼を言いつつ、「いや、多い」と付け加えた。
日本人の感性とも通じ合う男だった。
午後からは、ヌサドゥアへの移動だ。
ホテルに、Rツアー社の車が来て、出発。
途中、チュルク(銀細工の村)に寄った後、
南ヌサドゥアの「ホテル・ニッコー・バリ)」に到着。
チェックイン。
本年5月10日に部分開業(グランドオープンは未だ)した、
nikko hotels international運営の、新しいホテルである。
<
Hotel Nikko Bali(ホテル・ニッコー・バリ)>
ホテル
のシャトル車(宿泊客用)で、ヌサドゥアの「D.F.S」へ。
夜7時頃、
「Tragia Nusa Dua(トラギアヌサドゥア)」で買い物。
「
Galleria Nusa Dua(ギャラリアヌサドゥア)」の敷地内で、
ここを訪れる客へのサービス(フリー)の、
少人数構成ながら、Khecak(ケチャ)のダイジェスト版(ミニケチャ)?が観られた。
時間も超ショートだが、一応、ラマヤナの踊り手もいた。
敷地内の
店で食事。
野菜のスープ、チャプチャイ、ナシゴレン、ビンタンビール
(小)、で、25,300.ルピア(サ共)。
午後10時前の「
D.F.S」の送迎バスで、ホテルに帰る。
「ホテル・ニッコー・バリ」
泊。
*
ホテル ニッコー バリ Hotel Nikko Bali:Jl.Raya Nusa Dua Selatan, Nusa Dua Bali
11/2
(土)
*チャンプアンのホテルは朝食が付いていたが、こちらのホテルには付かないツアー。
ホテル
の、正午のシャトル車で、クタの「D.F.S」へ。
飾り用にこしらえた、ワヤンクリッ(水牛の革を使った、影絵人形)を買う。US$ 3.。
ジャランジャラン。
パンタイクタ通りの店で両替。\1:Rp.20.35。
午後2時過ぎ、クタの「Matahari(マタハリ)」4階で、Bubur(ブブル(粥))を。3,300.ルピア。
4時過ぎ、「Excelso」で、アイスコーヒー、3,000.ルピア。
スーパーの「Gelael Dewata(ゲラエルデワタ)」で、
ドリンキングウォーター「Safe」1,500.mlペットボトル、1,090.ルピアや、
ジャワティー、コピバリ、中国茶、インドネシア製造の「丹頂ヘアークリーム」などを買う。
6時の、クタの「
D.F.S」の車で、ヌサドゥアの「D.F.S」へ。
ヌサドゥアへ着いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
ホテル
へ帰って、ホテル内のシアターレストラン「Kupu-Kupu」で、トロピカルなドリンクを。22,990.ルピア(税サ共)。
同ホテル内、中国広東料理「桃李(Taoli)」で、26,015.ルピア(税サ共)。
「ホテル・ニッコー・バリ」
泊。
11/3
(日)
午前中、ホテルをチェックアウト。
このホテルのプールには、長いウォータースライダーなどもあって、なかなか良かった。
自然の崖をうまく利用して建てたホテルなので、趣がある。高くて大きな「磨崖"神"」なども面白い。
ホテル
のシャトル車で、ヌサドゥアへ。
Peminge(プミンギ)の村中をジャランジャラン。
ヌサドゥアの南ゲート付近から、白タク
(箱型車)に、「"ニッコーホテル迄 2,500.ルピア"と交渉」して、乗車。
ホテルに戻る。
夕方、
ホテルより、ツアー送迎車で、空港へ。
ングラライ国際空港着。
空港税 25,000.ルピア。
空港内の店で、軽食を。6,000.ルピア。
19:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、スカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
(中略)。
スカルノハッタ国際空港着。
1時間50分程トランジットの後、
スカルノハッタ国際空港発。
11/4
(月)
午前6時、関西国際空港着。
南海電鉄・空港急行にて帰途に。
完。
1997年(平成9年) 4/4〜4/9 日程6日間
4/4
(金)
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
関西国際空港。
12:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
機内(座席)は、ガラガラだった。
現地時間17:45、ングラライ国際空港(デンパサール)着。
空港に程近い、トゥバンの
「ホテル ラマ バルナ」にチェックイン。
部屋は簡素ながら、一戸建て感覚で、なかなか良い(多少古いが)。
リーズナブルなホテルで、コストパフォーマンス高し。
*
ドリンキングウォーター「Well」(1,500ml.ペットボトル) 700.ルピア、「カルティカデワタ」。
午後10時頃、
ホテル内レストランで、ナシゴレンとバリハイビール(小)とで食事。
ラマバルナ
泊。
*ホテル ラマバルナ Hotel Rama Baruna : Tuban Kuta Bali
4/5
(土)晴れ
<
「ラマバルナ」の、泊まった"部屋">
宿泊ホテルのレストランで、コーヒーとトーストの朝食。
本日
午前は、
<
「バロンダンス」>
舞台中央に、聖獣バロン登場。
<会場の、ガムラン奏者達>
終了後、デンパサールへ。
バリ博物館
見学後、スーパーの「ティアラデワタ」で両替。\1:Rp.18.99。
「ティアラデワタ」内で、簡単な昼食を済ます。
午後は、「ティアラデワタ」からププタン広場迄歩き、ガジャマダ通りをジャランジャラン。
左手
(南)にバドゥン市場を見ながら、バドゥン川の橋を西へ渡り、
タムリン通り迄行って引き返す。
途中の、商店の集中している路では、
たむろしている"物乞い"の人達が、
わらわらと寄って来た。
<タムリン通り>
<ププタン広場>
20世紀初めの、オランダ
(軍)によるバリ島侵攻時に起こった、壮絶・悲惨な出来事を、
今に伝えるププタンの像。
ププタン広場
で写真を撮った後、ジャガッナタ寺院へ行く。
<
Pura Agung Jagatnata ( Pura Agung Jagatnatha )「ジャガッナタ寺院」>
デンパサールで最も大きいといわれる、バリヒンドゥー教寺院。
境内には、独自の世界
(宇宙)観をあらわす、塔(石灰岩)の祭壇「パドマサナ(写真)」がそびえる。
天辺の、白珊瑚で出来ている椅子は、祭神「サンヒャン・ウィディ・ワサ」の為に在る。
この寺院は、満月の夜には大勢の参拝があるとか。
訪れた日は、ほとんど人もいなくて、閑散としていた。
境内で掃除をしていた男性に挨拶すると、
地面の竹籠を指差して、「それを捲け」と言う。
見ると、帯状の、青い布が何本も投げ入れてあり、
内の1本を借りて腰に捲く。
境内を一巡して、戻って来ると、お布施を求められる。
いくばくか出す。男性、うなずく。
午後3時前、
「マクドナルド」で、コカコーラ(S)とアイスクリームコーンで休憩。
デンパサールの町の中心部で、ベモ(路線を走る、箱型の、乗合自動車)に乗る。
(中略)。
5時頃、ラヤクタ通りの
「ゲラエルデワタ」で、食品類を買う。
夜11時頃、滞在
ホテルのレストランで、ミーゴレンとコーヒー。
ラマバルナ
泊。
4/6
(日)
ホテル近くの、カルティカプラザ通り「C-LINE」で、アメリカンブレックファースト。
クタスクエアの方へジャランジャラン。
「マタハリ」で、少し買い物。4階の店で、コピバリを飲む。
昼12時半頃、クタスクエア「K.F.C.」で、コカコーラ(S)で、休憩。
ホテルへ戻る。
(中略)。
夕食は、西洋ビュッフェを、カルティカプラザ通りのオープンエアの店で。
ミニスーパーの前の、空いている地に設営した、今夜のみ営業の(不思議な)店だった。
今月9日は、
Nyepi(ニュピ)。サカ暦の新年である。
<6日夜、パンタイクタ通りにて>
午後11時頃、
ホテルで、隣の"部屋"の客の、お祈りの声が耳に付いた。
大分長い間、朗々と唱うように祈っていた。
ラマバルナ
泊。
4/7
(月)晴れ
昨夜の客、今朝も祈っているみたいだ。
なかなか信仰心篤き御仁とみゆる。
後で、トランクを提げたオヤジを先頭に、小学生位の男の子2人がその後に続き、
最後にその母親が付き従って、一列縦隊になって出て行くのを目撃。
オヤジは、インド人の様な服装で、その貌は家長然としていた。ああ、彼等が"お隣さん"だったのか。
1泊だけだったらしい。
インドネシアの人ではなかったかも知れない。
ホテル
の、フリーのシャトル車(滞在客用に、朝から夕方迄、クタのラマヤナホテルの所へ1日4往復あり)で、
午前10時半頃、クタスクエア。
(中略)。
パンタイクタ通りの店で両替。\1:Rp.19.18。
「R.AJA's」で、アイスコーヒーで休憩。
マタハリ4階で、Bakso Kuah(肉団子汁) を。
途中、「カルティカデワタ」で、缶飲料などを買って、ホテルに戻る。
プールで過ごす。
夕方、ホテルのシャトル車(最終)で、クタスクエアへ。
「R.AJA's」で、ミーアヤムとスプライト。
夜10時半頃、滞在
ホテルのレストランで、ミーゴレンとコカコーラとコーヒー。
<7日、クタにて>
ラマバルナ
泊。
4/8
(火)晴れ
今日はニュピの前日。
(中略)。
プールで過ごす。
午前11時半、ホテルをチェックアウト。
クタスクエア。
夕方、
ングラライ(デンパサール)国際空港。
空港税 25,000.ルピア。
空港内店で、軽食。
19:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、スカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
スカルノハッタ国際空港着。
1時間半程のトランジット中に、「マクドナルド」で、ハンバーガーとホットティー。
スカルノハッタ国際空港発。
4/9
(水)
予定より少し早く、午前6時前に、関西国際空港着。
6時15分発、南海電鉄・空港急行にて帰途に。
完。
1997年(平成9年) 7/17〜7/22 日程6日間
*旅行代理店に代金支払\114,880。関西空港施設使用料\2,650。関西空港への交通費(略)。
7/17
(木)
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
関西国際空港。
12:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
現地時間17:45、
ングラライ国際空港(デンパサール)着。
空港出口で、出迎えの「Rツアー」現地係員P社ガイドの車で、
クタの「ホテル イスタナ ラマ」へ。
チェックイン。スタンダード棟3階の部屋をあてられる。
室内のテレビの映りが非常に悪い。
洗面台の蛇口を捻ると水がひどく漏れて、辺りがビショビショになる。
パンタイクタ通りの
店で、両替。\1:Rp.20.90。
クタスクエア「マタハリ」4階で、ナシゴレンとソトアヤムで夕食。計 6,050.ルピア(税共)。
「マタハリスーパー」で、飲物と蚊取り線香を買って、ホテルに帰る。
イスタナラマ
泊。
*ホテル イスタナラマ Hotel Istana Rama : Kuta Bali
7/18
(金)
ホテルで朝食(Rツアーに付く)。
移転して、新しくングラライバイパスに出来た
「D.F.S.」へ、歩いて行く。
午後1時、「D.F.S.」の車で、「プラザバリ」へ。
3時、プラザバリの車で、ホテルへ戻る。
クタスクエア
「マタハリ」4階で、ミーアヤム。2,750.ルピア(税共)。
(中略)。ファーストフード店「C.F.C.」で、6.555.ルピア(税共)。
ホテルへ戻る。マンディ。
レギャン通りの
店で、ドリンキングウォーター(1,500ml.ペットボトル)1,200.ルピアとスプライトを買って、
帰りに、「マハラニホテル」の「Restaurant & Karaoke Bar」で夕食。
ナシチャンプル、トニックウォーター、コピバリ(2杯分あった)で、計 10,450.ルピア支払い。
イスタナラマ
泊。
7/19
(土)
朝、遅く起きる。
昼12時半、「マタハリ」1階の
「セントラルクタ」で両替。\1:Rp.21.03。
(中略)。ホテルへ戻る。
午後、レギャン通りの「マクドナルド」で、チーズバーガーとアイスティー(レギュラー)を。計 4,000.ルピア。
「ホテル
ジャヤカルタ バリ」の門内にある、小さなプラ(寺院)で、
小規模なオダランを行なっていた。
<
「Pura Bagus Taruna」>
Jl.Padma Utara
の「Loji」で、ジャムゥのドリンク類やポカリスェット、飲料水を買う。
遅めの夕食を「Wina's 2 Warung」という店で。ナシゴレンとビンタンビール小。計 5,300.ルピア。
夜遅く、レギャン通りの「Sari Club(サリクラブ)」の前を通りがかったら、通りより見える店内は、白人客で、大賑わいだった。
「マハラニホテル」の「Restaurant & Karaoke Bar」で、コピバリ。2,200.ルピア支払い。
イスタナラマ
泊。
7/20
(日)
こんなに涼しい?バリは初めてである。
ホテルの朝食後、
プール。そのまま、浜辺へ出て、水際を歩いたり、パンタイクタ通りを「Hotel Kulkul Resort」迄行って、戻って来る。
クタスクエア
「マタハリ」1階の店で、腕時計の電池交換。
「マタハリスーパー」で「Mustika Ratu(ムスティカラトゥ)」のシャンプーを買う。
昼は、「マタハリ」4階で、ミーアヤム。3,300.ルピア(税共)。
(中略)。
クタスクエア「R.AJA'S(ラジャス)」で休憩。コピバリ。1,500.ルピア。
「マタハリスーパー」で「AQUA(1,500ml.ペットボトル)」1,100.ルピアや、各種ドリンク類を買う。
夕食は、「マハラニホテル」の「Restaurant & Karaoke Bar」で、ナシチャンプル、コーラ、アイスコーヒー(甘過ぎ!)。
計 11,000.ルピア支払い。
午後11時半、突然、宿泊
ホテルの部屋がノックされ、外から、男が、「チェックアウトか?」と聞く。何をいっているのか!。
イスタナラマ
泊。
7/21
(月)
今日は、昨日とうってかわった様に暑い。
ホテルの朝食。
カルティカプラザ通り「パラディソホテル」内の
「El Patio Coffee House」で、アイスコーヒー。4,250.ルピア(税サ共)。
高い上に、味は…。
マハラニホテル東隣の両替店で、両替。\1:Rp.21.30。
「Restaurant & Karaoke Bar」で、ミークア、コーラ、で昼食。8,250.ルピア支払い。
午後4時半、送迎車で、
ホテルより空港へと向かう。
ングラライ(デンパサール)国際空港到着。
空港税 25,000.ルピア。
19:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便でスカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
スカルノハッタ国際空港着。1時間半程トランジット。
空港内「マクドナルド」で、ビッグマックとコーヒー。計 5,800.ルピア。
スカルノハッタ国際空港発。
7/22
(火)
午前6時、関西国際空港着。
JRにて、帰途に。
完。
1997年(平成9年) 8/7〜8/16 日程10日間
8/7
(木)
JR・関空快速にて、関西空港へ。
関西国際空港。
出国手続き後、搭乗迄、「ダイナースクラブ」のラウンジで休憩。
正午少し過ぎの、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
6時間半の空の旅。
午後6時前(現地時間)、ングラライ国際空港(デンパサール)着。
「Sツアー(朝食付)」の現地係員(B社ガイド)の車で、
クタはレギャン通りの「フォーティーン ローズ ホテル」へ。
チェックイン。
(中略)。
歩いて、クタスクエアの「マタハリ」4階へ。
そこで、ナシゴレンとソトアヤム(具入りチキンスープ)の食事。
フォーティーンローズ
泊。
*フォーティーン
ローズ ホテル Fourteen Roses Hotel : Jl.Legian Kuta Bali
*表記(英)としては、複数形になるが、一般には、フォーティーンローズで通っている。
8/8
(金)
<
レギャン通りに面する「フォーティーンローズ」>
大手旅行会社以外の安いパックツアーで利用されたりする、街中のホテル。
写真左下は、路上の
"時計売り"。
オメガでも、ローレックス(ロレックス)でも、何でもありま〜す(笑)。
「シャチョサン、トケイ、ヤスイ、ミルダケタダ」。
(中略)。
クタをジャランジャラン中、外観が朱色の中国寺院と遭遇。
寺名は
「金玉満堂」。境内の、マンガチックな、彩色の狛犬?が可愛い!。
途中の店で、アヤム(鶏肉入)ナシゴレンの昼食。
クタスクエア「マタハリスーパー」で、シャンプー(サリアユ)を買う。
「マタハリ」1階の、両替店で両替。\1:Rp.21.56。
(中略)。
レギャン通りの、「マクドナルド」で、コーラーを飲み、休憩。
クタスクエア
「マタハリスーパー」で、AQUA、ポカリスェット、石鹸(ムスティカラトゥ)を買う。
(中略)。
夕方、クタのナイトマーケットへ食事に出るが、まだ時間が早くて、店は準備中だった。
そのまま、ジャランジャランで、クタスクエアの方角へ。
バクンサリ通りの、インドネシア料理「SINGGASANA RAMA・Restaurant & Bar」へ入り、
チキンコーンスープと、チャプチャイ(中華。野菜が主)とナシチャンプルでの夕食。
店内は、陽気なオージーのオッチャン客らで賑わっていた。
歌と生演奏もあり、男声トリオが、客のテーブルを回りながら、その場で、リクエストにも応じていた。
楽しい店だった。午後8時半、食事を終え、店を出る。
すぐ外の路上に、ドッカル(馬車)の集う一角があり、
帰りは、そこより、ドッカル(要交渉)の客となり、ホテルへ戻る。
フォーティーンローズ
泊。
8/9
(土)
フォーティーンローズホテルの、極めてシンプル(笑)な朝食の後、午前9時、ロビーに集合し、
運転手.ガイド.ツアー客の数人で、次の宿泊地のUbudへ向かう。
Ubud到着。
Jl.Monkey Forest「Ubud Inn(ウブドイン)」に、チェックイン。
部屋には、バスタブが無く、シャワーのみ(一応、温水も出る)。
半坪程のマンディルームの、壁面上部に、シャワーの蛇口(固定式)、下部に洋式便器。
シャワーを浴びれば、当然、便器の蓋は、ボトボトになる。
到着後早々、歩いて、「Monkey Forest」へ行く。
<Monkey Forest
にて>
普段は沢山居るが、日によっては、あまり姿をみせない時もある。
「
Dalem Agung Padantegal」という寺院あり。
Nyuhkuing
という名の、小さな集落の方迄歩く。
一度、
ホテルへ戻った後、Padangtegal(地名)迄、ジャランジャラン。
<
Padangtegalにて>
う〜ん Ubudしてるなぁ
日本では一寸、見ることのない、バリの棚田も良いが、
この
(写真)ような田圃もまた、かっての日本の原風景と重なり、
より、見る者の郷愁をさそう(小生感)。
<
Padangkerta Temple>
今夜、
*Khecak(ケチャ)は、ここで催される。
*
Khecak:上半身裸で、格子柄の腰巻きを身に付けた大勢の男達が
円陣を組み、舌音を発しながら、唱和、展開される、ラマヤナ物語の世界。
村人に、火事や事件を急報する為に使われていた、寺院内の、鐘楼
(の様な)建造物
中央にぶら下がっている木鐸(
Kul Kul:クルクル)を叩く。
報せたい事柄により、それぞれ、叩き方、叩く回数が定まっている。バリ式モールス信号?。
おなかがすいたので、近くの
「Café Rotih」という店で食事。
Jl.Monkey Forest
「Apa」で、両替。\1:Rp.21.95。
ラヤウブッ通り
「TINO」で、菓子、牛乳、*ドリンキングウォーターを買う。
*「AQUA」1,500ml ペットボトル=Rp.1,200.。「Safe」同、Rp.1,200.。
夜、7時半からの
Padangtegal「Padangkerta Temple」に於ける「KHECAK,FIRE AND TRANCE DANCE」へ、ホテルより歩いて行く。
"
KHECAK"
車座の中の二人
(中央)は、ラマヤナの舞踊劇を演じている。
KHECAK
も、地域・グループによって、少し違いがあるみたいだ。
KHECAK DANCE
の後は、低年齢の女の子二人が、目を閉じたまま、同時に同じ舞をするサンヒャンドゥダリと、
地面で椰子殻を燃やし、火の付いた、その砕けた殻の上を、一人の男が、
つくり物の馬にまたがった姿で、裸足で火の粉を蹴散らしながら跳ねまわる
サンヒャンジャラン(一見の価値あり)の、トランス系ダンス二種が観られた。
*
暗い中で火を焚き、それが照明とも成って進行する。広い境内には乏しい光量故、肉眼には丁度、写真(下、二枚)の様に映る。
"
サンヒャン ドゥダリ"
踊りの最後は、踊り手である二人の少女が、気を失ってその場に倒れてしまう。
やがて、僧侶
(右側の白い服装)の振り掛ける聖水により、正気にもどって、終わりとなる。
"
サンヒャン ジャラン"
燃えさかる椰子殻を、演者が四方八方に蹴り散らかし、別の者が、それを、竹箒で中央に掃き寄せる。
そして、寄せ終えたとみるや、またも演者はそれを、踏み、はじき飛ばす。その一連の動作が何度も繰り返された。
火の付いた物が、観客の足元近くにまで飛んで来るし、火の粉と熱気とで、
席が前の方の客などは、ワーワー言いながら逃げ惑う。
これぞ、バリ版「火渡り式」。
いやー、これは、今夜のハイライトであった。
帰る道すがらのレストランで夕食。
店の名は失念したが、味も雰囲気もマアマアの
店だった。
Ubud Inn
泊。
8/10
(日)
ホテルで朝食。
今日の予定は、アユン川でのラフティングだ。
午前8時より、ホテルのフロント付近で、ピックアップの車を待つ。
やがて、若い男が一人、ジープを運転してやって来た。
客数人が乗り込む。出発。
(中略)。
現地(Ubud)到着。
長い石段を歩いて降りきった所に、川下りボートの出発地点はあった。
やがて、係員の指示で、インストラクター?の男性一人と、
ヘルメット・ライフジャケットを身に付けた客五人の、
計六人が、ひとつのゴムボートに乗り込む。
辺りには、豪州、台湾、日本、その他、方々からやって来た団体・個人旅行客の楽しそうな声が弾む。
それを聞くこちらも、これから始まるラフティング体験に期待がふくらみ、自然と心が躍る。
いよいよスタートである。
途中、ボート対ボートの、笑顔の、
"オールを使っての、水掛け応酬戦"などもあり。
(中略)。
やがてそのうち、ボートが、岩場の、わりと流れの急な所を過ぎ、
周りの景色を眺めながら、穏やかな流れに身を任せられるようになる。ゴールが近づいたしるしである。
すごく楽しかった。
着いた所から、また石段を上り、車に乗せられて、ハウス(近い)へ行く。
そこで、シャワーを浴び、"ラフティング"に付いている昼食(カレーライス)。
食後、すぐ、送迎車でホテル迄戻る。
(中略)。
今夜は7時半から「プリサレンアグン」で、
"レゴンダンス"を観るつもりだ。
夕食は、その前に、プリサレンアグンの前にある「Avy's Warung」で済ます。
天候不順により、今夜のダンス会場が、プリサレンアグン庭より、劇場側に変更された。
←
<当日のパンフレット(部分)>
ダンス終了後、近くの
「tino」で、少し買い物。
Jl.Raya Ubud
の、とある店先で。
←
< Cicak(チチャ)>
バリ島では普通に見かける小さなヤモリで、
夜間、照明に集まる小型の虫などを補食するため出没し、
電灯付き看板や壁面で、何匹も目にする。
体色は薄い灰色で、明るい所では白っぽく見える。
昼間でも、石像の上などに、ちょこんと乗っていたりして、なかなか可愛い。
大型種の
Toke(トッケ)とは、全くの別種である。
ホテル
へ帰る。
(中略)。
Ubud Inn
泊。
8/11
(月)
午前は、ジャランジャランで過ごす。
(中略)。
<
「Pasar Ubud」(ウブッ市場)>
ホテル
へ戻ってから、レンタサイクル(マウンテンバイク)で、チャンプアン方面へ走る。
チャンプアン橋そばの「MURNI'S WARUNG(ムルニーズワルン)」へ。
店内の階段を一番下迄降り、席に着く。外の緑が濃い。
ここからの眺めは素晴らしい。崖の岩肌も渓流も真近に迫ってくる。
ナシゴレンスペシャルで、昼食。
ホテル
へ戻る。
マウンテンバイクで、Monkey Forest より南にある Pengosekan 村まで行く。
<
「Pengosekan 村にて」>
子供達のバリ舞踊稽古風景。先生は、男と女の、計二人いた。
(
中略)。
夕食は、プリサレンアグン前付近のレストランで。
店の者が、相席でもよいかと聞くので、同意する。
案内されたテーブルには、婦人客二人がいた。
二人は友人で、ドイツから来たという。一人は教師で、もう一人は、ソーシャルワーカーだと。
教師の方のステディは、フランクフルトで東洋の美術品を扱う古美術商だそうだ。
教師の方は、相当な話し好きとみた。
夜中、雨。
Ubud Inn
泊。
8/12
(火)
午前、ホテルから Ubud(少し遠方迄)をジャランジャラン。
Ubud Inn をチェックアウト。
Jl.Monkey Forest のワルンで、アイスティー。
正午、ホテルへ送迎車が来る。クタへ向けて出発。
レギャン通りの「フォーティーンローズ」に到着。再チェックイン。
カルティカプラザ通りに新しく出来た「ウォーターボムパーク」という大型プールに、どんなものかと行ってみる(入場)。
入場料が非常に高い上、内で、脱衣の為のロッカー代も取る(それも高い!)。
高さのあるウォータースライダーがあり、浮輪に乗っていると流れていくプールも一応のウリらしいが、いってみればそれだけである。
客は、見たところ、ほとんどが台湾からの団体客で、日本人客も少数だがいた。白人客の姿は、あまり見かけなかった。
早めに出る。出入口
(券売所)の所で、出て来た台湾人客が、職員に、「マハール(高い)、マハール」を連発していた。
夕方、クタスクエア
「マタハリスーパー」で、AQUAやカップ麺などを買い、ホテルに帰る。
夕食は、バリ滞在中、出来れば一度は訪れる様にしている、レギャンの北にある
ワルンで。遠いが、歩いて行く。
蟹とコーンのスープ、ナシチャンプル、ドリンキングウォーターS、コピバリ。
今日のウォーターボムパークの料金(入場+ロッカー代)で、この店なら、夕食が6回とれる。
(中略)。
帰路、午後9時一寸過ぎ、レギャン通りの北の、集会所で、大勢の若者が、ガムランの稽古をしていた。
レギャンも北の方は、この時刻になると人影も途絶えがちになる。
暗い路のそこかしこで寝そべっている犬が、やけに目についた。
(中略)。
10時少し前、ホテルに戻る。
マンディしようと、シャワーの栓を捻るが、湯が出ないので、フロントへ言いに行く。
しばらくして、直し?に来るが、変わらず、結局、水を浴びて終える。
フォーティーンローズ
泊。
8/13
(水)
ホテルの、至ってシンプルな朝食。
ジャランジャランで、クタスクエア「マタハリ」。
Jl.Pura Bagus Taruna「BAM BOO・PALACE(バンブーパレス)」で、フーユンハイ、ドリンキングウォーターS、コピバリの昼食。
クタスクエア近くのパンタイクタ通りの、カセットテープ屋の両替(兼業)屋で、両替。\1:Rp.22.75。
レギャン通りの「マクドナルド」で、アイスクリームとコーラで休憩後、オダラン"見物"。
[
オダラン行列]*当日の模様は、バリ写真室をご覧下さい。
午後4時、行列先頭が、レギャン通りの Pura(寺院)を発つ。
5時、浜に到着。
セレモニー。
6時50分頃、終了。各々、Pura へと戻って行く。
8時、
ホテルに戻る。
風呂の湯や水が、チョロチョロとしか出ない。ホテルに言うと、"○号室に替わってくれ"と言うので、部屋を替わる。
9時頃、外出。
メキシコ料理「Poco Loco(ポコロコ)」へ入る。店内は広く、活気があり、大勢でものすごく盛り上がっていた。
客のほとんどが、非アジア系だった。料金は高めである。
レギャン通りの「サークルK」で、飲物を買って、10時50分頃、ホテルに戻る。
フォーティーンローズ
泊。
8/14
(木)
(略)。
夕食は、「ホテル ジャヤカルタ バリ」前の、「Topi Koki(トピコキ)」で。
魚、野菜、ライス、アクア、コピバリを頼んで、一応、コース?を。
店の、価格、接客、雰囲気共に良し。
(中略)。
レギャン通りの「サークルK」で、飲物を買って、ホテルに帰る。
フォーティーンローズ
泊。
8/15
(金)
宿泊ホテルの「朝食」が、あまりに貧相なので、今朝は豪勢にいこう(笑)と、
別に、メニューに書いてあったオムレツ(Rp.1000.)を注文してみる。
これが、何のことはない、具も何もない、ただの卵焼き(卵1個分の)だった(爆)。
正午前、フォーティーンローズホテルをチェックアウト。
クタスクエア「マタハリ」1階の両替店で、両替。\1:Rp.22.65。
(中略)。
午後、送迎車で、ングラライ(デンパサール)空港へ向かう。
空港税 25,000.ルピア。
(中略)。
搭乗予定の、シンガポール航空 SQ-147 17:45発 チャンギ(シンガポール)空港行が、
初めの案内放送では、19:00発に。次の放送では、20:00発に。と、出発の遅れが重なり、
結局、チャンギ空港へ着いた時には、乗る予定だった日本航空 JL-722便は、飛び立った後だった。
すぐ、SQのカウンターへ行き、次の、23:55発 シンガポール航空SQ−986便に乗れる様にする
(この便も、出発が、23:55 → 24:30(現地時間16日午前0時半)と遅れた)。
8/16
(土)
朝、関西国際空港着。
09:05発、南海電鉄・特急ラピートにて帰途に。
完。
1998年(平成10年) 2/10〜2/15 日程6日間
*旅行代理店に代金支払\140,456。関西空港施設使用料\2,650。関西空港への交通費(略)。
2/10
(火)
早朝、小雨。嫌だなと思っていたら、一応止んで、曇り空。
JR・特急はるかにて、関西空港へと向かう。
やがて、空港近くになり、電車が鉄橋を渡りはじめる、周りの音が変化する。この瞬間がなんとも好きだ。
辺りの海や空の景色が相まって、心がゆったりとする。日常の生活からの解放感からだろうか。
関西国際空港
。
12:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
現地時間18:00、ングラライ国際空港(デンパサール)着。
出迎えた「Sツアー(ホテルの朝食無し)」現地係員の、R社ガイドの車で、
レギャンの「ジャヤカルタ バリ」へ。
このホテルでの宿泊は、2度目だ。チェックインを済ませ、午後7時頃、部屋へ。
部屋では、蚊が待ち受けていた。
旅装を解き、徒歩で、クタのまちへ。
スーパーマーケットで、相当なインフレ状況を実感。
ドリンキングウォーターが、えらく値上がりしていた。
帰り道、ミニスーパーで、スプライト(350ml缶)を買う。1,600.ルピア。
深夜、宿泊ホテルのコーヒーショップで、
蟹のスープ、ナシゴレン(小サテ付)、コピバリ(ポット)の食事。パン2ヶが付いてきた。
計 24,800.ルピア(税サ共)。
食事中、蚊に、足を何カ所も刺された。
マンディ。
ジャヤカルタバリ泊。
*ホテル
ジャヤカルタバリ Hotel Jayakarta Bali : Jalan Pura Bagus Teruna Legian
2/11
(水)晴れ
ホテルの従業員のノックで、午前8時頃起こされる。ドアに「Don't disturb」の札を掛けて、また寝る。
昼過ぎに起き、午後から、歩いてクタへと向かう。
レギャン通りの「Loji」で、コカコーラ(缶)とアイスを買う。
(中略)。
クタスクエア「マタハリ」1階の、両替店で両替。\1:Rp.50.45。
「マタハリスーパー」で、Tシャツ2枚を購入。39,800.ルピア。
<パンタイクタ通りにて>
レギャン通りの
店で、蚊取り線香、ファンタオレンジ(缶)、アイスキャンデーを買う。
午後8時頃、ホテル近くのワルンで夕食。
蟹とコーンのスープ、ナシチャンプル、ドリンキングウォーター[S]、コピバリで、計 6,200.ルピア。
(中略)。
ジャヤカルタバリ泊。
2/12
(木)晴れ
今日は、朝にバロンダンスを観た後、今夜の宿泊ホテル、ジンバランの
「リッツカールトン バリ」へ向かう予定である。
ジャヤカルタバリをチェックアウト。
ホテルで、コピバリとトーストの、朝食を済ます。7,900.ルピア(税サ共)。
近くの店(他のホテル内)で、ココナッツジュースを。2,000.ルピア支払。
ガイドの迎えの車で、ホテルを出発。
バロンダンス会場到着。
約1時間のダンス鑑賞を終え、車に。
途中、トパティに寄った後、デンパサールの、クンバサリショッピングセンターとバドゥン市場へ。
<
バドゥン市場>
手前のドリアンを買って食べた。1個 6,000.ルピア。
雨期(雨季)の市場には、マンゴー、パパイヤ、マンゴスチン、ランブータンなどの
果物が豊富に並ぶ。
バリの暦
(カレンダー)を購入。2,500.ルピア。
車に戻り、出発。
昼食(Sツアーに付く)は、「D.F.S.」内の中華レストラン「EMA」。美味だった。
食後、出発。
「リッツカールトン
バリ」に到着。
ジンバラン南部に、新しく出来た高級ホテルである。
このホテルは、ジンバラン地区でも、「インターコンチネンタル」から、さらに南、「フォーシーズンズ」の一つ先に在り、
ホテル近辺には、道路以外何にも見当たらなかった。
建物は開放的で明るく、室内も高級感漂う造りになっていた。シャワーブースも付いている。
部屋に、AQUA2本(無料)が備えてあり、置いてあるアメニティグッズも充実していた。
滞在客の為に、クタ(クタスクエア)とヌサドゥア(ギャラリア)へ、それぞれ1日3便ずつの、ホテルのシャトル車(フリー)有り。
従業員の接客態度も、慇懃である。
そして、値段も"高級"であった。このことは、のちに実感することになる。
<ホテル棟、部屋前の廊下>
夕方、外出。夕食は「プラザバリ」内
「仙島中華海鮮料理」で、四川風坦々麺を賞味。4,600.ルピア(税サ共)。
午後7時45分のプラザバリの送迎車で、ホテルに戻る。
空港が近いので、部屋に居ると、時折、低空を飛ぶジェット機の音が聞こえる。
リッツカールトンバリ泊。
*リッツカールトン
バリ THE RITZ-CARLTON BALI : Jalan Karang Mas Sejahtera Jimbaran
2/13
(金)
午前10時15分のホテルのシャトル車で、ヌサドゥアへ。
郵便局で、葉書に貼る切手(日本宛送料分)1枚を購入。1,000.ルピア。
昼は、トラギアショッピングセンター内「ケンタッキーフライドチキン」で済ます。
コーンスープ、ライス、ペプシコーラ「S」で、計 4,800.ルピア(税共)。
「トラギア」スーパーで、*ドリンキングウォーターとグァバジュースとコカコーラを買う。
*ドリンキングウォーター 1,500mlペットボトル=Rp.1,250.。
午後1時15分ヌサドゥア(ギャラリア)発の、ホテルのシャトル車で、ホテルに戻る。
プールで過ごす。
ジャグジーなどもあって、なかなか素敵なプールであった。
プールデッキで、ジンジャエール
(21,780.ルピア[税サ共])を頼む。
この1杯の代金が、一昨日の小生の夕食代の3倍半だった(笑)。
夕食は
ホテル内「PADI(パディ)」で。
ビンタンビール[小]、ココナッツスープ、ナシチャンプル(辛かったので、残す)、コピバリを注文。他に、パンなどが付いてきた。
計 210,359.ルピア(税サ共)。
ステージの女性歌手がリクエストを受けるというので、小生の好きな曲「RANGKAIAN MELATI」をリクエスト。
別に頼まなかったが、気を利かしたのか「BENGAWAN SOLO(ブンガワン ソロ)」も歌ってくれた。
もっとも、日本人で、この歌を懐かしむ人も、いまは少なくなったであろう。
9時20分頃迄居て、部屋へ戻る。
リッツカールトンバリ泊。
2/14
(土)晴れ
朝食は、昨夜と同じ、ホテル内「PADI」で摂る。ビュッフェ。
206,910.ルピア(税サ共)。*参 Rp.50.45 : \ 1.
日本の一流シティホテルの朝食(ビュッフェ)代と同等、あるいは、それ以上の金額。
このホテルが、いかに浮世離れ(笑)しているかがおわかりいただけよう。
品数が少なく、総体的に大味のビュッフェだった。
(中略)。
ホテルをチェックアウトして、午前11時30分のホテルのシャトル車で、クタ(クタスクエア)へ。
「マタハリ」で、衣類の買い物。絵葉書1枚、1,000ルピアも購入。
ファーストフードの店で、昼食代わりを。5,950.ルピア。
クタスクエアの、"ホテルのシャトル"乗車場所へ戻る。
午後2時30分出発のはずが、"2組の客がまだ来ないので、待ってほしい"と運転手が言う。
オーストラリアからという中年の白人女性一人と待つ。
やがて2組来る。すぐ出発、2時37分頃だった。
リッツカールトンバリ着。
フロントに、日本宛ての絵葉書を託す。
(中略)。
夕方、ガイドの迎えの車で、ングラライ国際空港へ。
空港税 25,000.ルピア。
(中略)。
空港内「プラザバリ」階上の「プラザバリ・スカイラウンジ」という店で、コーヒーで、軽食を。8,000.ルピア。
19:20発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、
スカルノハッタ国際空港(ジャカルタ)へ。
スカルノハッタ国際空港着。トランジットの後、
EG−222便で関西国際空港へ。
2/15
(日)
06:00、関西国際空港着。
JR・特急はるかにて帰途に。
完。
1998年(平成10年) 4/28〜5/4 日程7日間
4/28
(火)
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
「ダイナースクラブ」の、(空港)ラウンジで寛ぐ。
12:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
機長の機内アナウンスで、眼下に、バリ島の霊峰アグン山を。雄大だ。
現地時間17:45、
ングラライ国際空港(デンパサール)着。
レギャンの「ホテル バリマンディラ」へチェックイン後、夜のレギャン通りへ。
バリマンディラ泊。
*ホテル
バリマンディラ Hotel Bali Mandira : Jalan Padma Legian Beach BALI
4/29
(水)
ジャランジャランで、パンタイクタ通りの「マハラニ」で朝食。
午前11時頃、ホテルに戻る。
ホテルで昼食。
(中略)。
クタスクエア「マタハリ」1階の、両替店で両替。\1:Rp.58.65。
夜更けに、ホテルで食事。
バリマンディラ泊。
4/30
(木)
午前7時頃、起床。
パドマ通りの「F'JS Restaurant & Bar」で朝食。
午前9時半、ホテルに戻る。
今日は火葬式「Ngaben」(Cremation)のツアーの日だ。
午前10時半、ピックアップの車がホテルに来る。
乗り込むと、先客に、ロンドンから来たというカップルが。
直ちに出発。
現地到着。
<
葬儀を出す家の前にあった「バデ」>
この台の上に棺を置き、何人もの男達で担ぎ、火葬場まで運ぶ。
<
遺族の人々>
亡くなったのは、この家のおばあさん
。
孫だという若い男性が来て、会釈を交わした後、彼としばらく話。
一昨日亡くなったという。
バリ島で、こんなに早く、単独で葬式を行なえるのは、この家の経済力の証か。
<
屋敷内の、柩(棺)>
後で、棺を傾けて、解けた氷の、大量の水を抜いていた時、
このおばあさんの足が見えた。合掌。
<輿に乗る少女>
孫とかいっていた。
葬儀の重要な担い手だ。
火葬場へ向け、数百人の列が動き出す。
そして、ガムランの音
(ね)が鳴り響く。
担がれる「バデ」。
途中の分かれ道で、ぐるぐる回転する「バデ」。
"
死者が戻ってこれなくする為"とか(家への道がわからなくなる様に)。
川の中を粛々と進む。
の〜んびりいきましょう!。
こちらは重いし、バランスをとるのが大変。
あともう少しで、火葬場だ。
がんばって!。
火葬場。
専門職により、着火用意!。
着火!。
ファイヤー!!。
来たときの車で、
ホテルに、午後3時頃戻る。
(中略)。
夕食は、「ホテル パドマバリ」内「天海」で。"刺し身定食"というのを食べたが、
海外リゾート地によくありがちな、いわゆる和食もどきなどではなく、
立派な和食であった。味も価格も納得できた。
接客態度も穏やかで、いい。店装も落ち着いた雰囲気である。
バリマンディラ泊。
5/1
(金)
パドマ通りの「Surya Café & Beach Bar」で朝食。
ジャランジャラン。
途中寄ったクタ市場では、水槽で泳ぐ鯰を、計り売りしていた。もちろん食用である。
(中略)。
午後6時過ぎて、ホテルに戻る。
7時45分頃、お気に入りの、レギャンのワルンで、
野菜のスープ、ナシチャンプル、コピバリ、の夕食。1時間程居た。
(中略)。
バリマンディラ泊。
5/2
(土)
ホテル近くの「Wr.Ketut」という店で朝食。
ラヤスミニャック通りの「漁師」で昼食。
ひととき、ホテルのプールで過ごす。
夕方、タクシーで、ウブッへ向かう。
モンキーフォレスト通りで降り、「プリサレンアグン」の方角へ歩いているうちに、暗くなり、
おまけに、辺り一帯が停電する。
しばらくして、復旧した。
午後7時少し前、「プリサレンアグン」近くの、
「プリサラスワティーバンガロー」へ行き、チェックイン。
チェックイン時、宿賃前払い。
<泊まった部屋
(1戸づつ独立している)>扉は、観音開き。南京錠。
「プリサレンアグン」で、7時半から催される
"Legong Dance"を観に行く。
今夜の出演グループは、「Bina Remaja」だ。
<
PUSPA WRESTI>
<
LEGONG KRATON>
<KEBYAR DUDUK DANCE>
<
OLEG TAMULILINGAN>
9時終演。
外へ出たら、停電だった。そのうち復旧。
付近の
「CASA LUNA」で、ナシゴレンとナシチャンプルの食事をし、
「プリサラスワティーバンガロー」へ戻る。
<
浴室天井の、トッケくん(大守宮)>
浴槽が、あまりに…なので、入浴はあきらめて、温シャワーを浴びる。
シャワー中に停電。真っ暗になる。一寸先も見えぬ。2分程で復旧。
ここは、吉本ばななの短編、『バリ夢日記』にも登場する、
味わいのある宿ではあるが、
天井が腐って、めくれていたりして、方々に老朽化が目立つ。
11時、どこかの鶏が啼き続ける。
やがて止んだ。
今時分だが、トッケではなく、鶏であった。
プリサラスワティーバンガロー
泊。
*プリサラスワティーバンガロー
Puri Saraswati Bungalows : Ubud Gianyar BALI
5/3
(日)
<
「プリサラスワティーバンガロー」>
午前9時前、宿の食堂で、付いていた朝食を摂る。
「プリサラスワティーバンガロー」
をチェックアウト。
<
「*Jamu(ジャムゥ)売りの女性」Ubudにて>
*
様々な効能をうたう、インドネシアの飲料。別に、液状でないものもある。
昼12時半、モンキーフォレスト通りから出ている
クタ行きのシャトルバスに乗る。
7人程の客の内、途中からの、白人女性3人組の荷物が異常に大きくごつくて、
数個、車内を占領し、人と荷物で大変窮屈だった。
係員も初め、首をかしげていたが、苦労して、なんとか押し込んでいた。
この3人組の内、1人の体臭が強烈で、いささか閉口した。
午後2時頃、クタの、ベモコーナーの近くに到着。
(中略)。
夕方、ングラライ国際空港へ。
空港税 25,000.ルピア。
(中略)。
20:10発、日本アジア航空(JAA)EG−221便で、
スカルノハッタ国際空港(ジャカルタ)へ。
スカルノハッタ国際空港着。トランジットの後、
EG−222便で関西国際空港へ。
5/4
(月)
朝、関西国際空港着。
07:15発、南海電鉄・空港急行にて帰途に。
完。
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