バリ島旅行記 Journey

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19978月バリ島

19982月バリ島旅行記へ

199845月バリ島

1996年(平成8年) 10/30〜11/4 日程6日間 

 *旅行代理店に代金支払\150,000。関西空港施設使用料\2,600。関西空港への交通費()

10/30()
南海電鉄・特急ラピートにて、関西空港へ。
関西国際空港
12:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
(中略)
現地時間17:45、
ングラライ国際空港(デンパサール)
空港出口で、今回ツアーの、現地係員
(Rツアー社・ガイド)の出迎えを受け、送迎車に乗り込む。
出発。車はウブッ
ホテル・チャンプアンへと向かう。
やがて、車はウブッに入り、一本の、暗い田舎道をひた走り、
チャンプアン
ホテルに到着した。
この
ホテルは、道路際近くにフロント(受付)が在り、ホテル全体が、チャンプアン渓谷の"斜面上"という感じである。
フロントを抜ければ、すぐに、径は下りとなる。
"部屋"は、『ひとつの棟(平屋)に、独立した「部屋」が2連(別々の客室)』というタイプが、比較的多く見られた。
アップダウンの激しい階段状の小径の、左右斜め上下
()に、大小の"部屋"(バンガロー風)や東屋風の建物が点在する。

チェックインした部屋の前では、が…。

後で、一度、フロントからこの部屋迄の径を辿ってみようとするが、
夜で暗いのと、径が迷路の様に感じられて、すぐにわからなくなり、あきらめて部屋に戻る。

部屋は、「古イガ、広イ」という感じで、
入口は、バリ島の宿では珍しい、大きな透明ガラスの入った引き戸で、
窓も、採光を考えてか、大きくとられ、同様のガラスがはめられていた。
部屋前
(軒下)のテーブルや椅子、室内の椅子なども竹製であり、
部屋の、網代天井も、なかなか味がある。
風呂場
(この表現が適す)の浴槽も、床からの段付きで、
ロータイプの、造り付けであった。
クラシカルとノスタルジックの入り交じる、素朴な感じの、落ち着いた部屋である。
まあ、最新のバリ島のホテル
(傾向)しか知らない人の一部から見れば、
好みの別れるところではあろうが…。

冷蔵庫は無し。クーラーも無く、ベッドの真上(天井)には、シーリングファンが1台。
尤も、涼しかったので、冷房装置があったとしても使わなかったであろう。
入浴しようと、裸になったら、寒いくらいであった。

「ホテル・チャンプアン」泊。

ホテル チャンプアン  Hotel Tjampuhan : Jl.Raya Campuhan Ubud,Bali

10/31()
ホテル朝食

本日午前中は、Ubud観光(今回のツアーに付いている)である。
ホテルより、Rツアー社の車で出発。

ウブッ市場(Pasar Ubud)で、バリカレンダーを購入。2,000.ルピア。
   
プリルキサン美術館(入館)

<プリルキサン美術館の庭
   

<モンキーフォレスト>
モンキーフォレスト などをまわり、
   


昼食は、クデワタン
Kupu-Kupu Barong Restaurant(クプクプバロンレストラン)へ。
クプクプバロンにて、昼食時、
アクア
(AQUA)代、4,200.ルピア(税サ共)

<「クプクプバロンレストラン」よりの眺望>

アユン川が見える。

 

 

 車で、ホテルに戻る("午前の「観光」"終了)

 

<「ホテル・チャンプアン」の部屋前(軒先)

ホテルから、ジャランジャランで、
プリサレンアグンとウブッ市場の辺り
(ウブッの町の中心)へ。
「プリサレンアグン」で、
今夜7時半からの「
Gabor Dance(ガボールダンス)」のチケットを買う。
Tino Drug Storeなどで、買い物をして、ジャランジャランで、ホテルに戻る。

夕方、部屋に居たら、突然、トッケが啼きだす。少しの間だが、啼き続けた。
マンディを済ませ、バティックの
Sarungを身に付けて、プリサレンアグン迄歩いて行く。

雨が降った後なので、今夜の「Gabor Dance」の会場は、プリサレンアグン(野天)から、
隣の劇場
(屋根有り)側に変更された。
早めに会場に行くが、これまた早々にやって来た白人連中に、やたら話しかけられる。
席の事やら、なんやらかんやら。
どうやら、こちらの格好
(服装)から、現地(会場)の関係者と思われたらしい。白人の目からみれば、区別がつきにくいのだろう。
小生の左隣席に座った、スイスから来たという若い女性(なかなかの美人)に、
「日本から来た、
(私も)観光客だ」と答えたら、彼女は、わあ!と破顔一笑した。

午後7時半開演「Gabor Dance (ガボールダンス)」於 プリサレンアグンの劇場

 

 <Kijang(キジャン)

「黄金の鹿」の舞。

 

 

 

 

 

 

  JAUK(ジャウッ)

ダンス終了後、

ラヤウブッ通りのUbud Musicで、JegogRindikの音楽テープ計2本(1本6,000.ルピア)を買い、
歩いて
ホテルへ帰る。

 

<泊まった部屋前で>

 

 

 

 

 

「ホテル・チャンプアン」泊。

 

11/1()
ホテル朝食
午前中、モンキーフォレスト通り迄、ジャランジャラン。
P.T.Partha Sedanaという店で両替\1:Rp.20.30
Tino Drug Storeで、ドリンキングウォーター「Safe1,500.ml ペットボトル、1,200.ルピア。他、を買う。
ホテルに戻ってチェックアウト

 

 

<「ホテル・チャンプアン」>

フロント(受付)付近より眺める。

 

部屋からフロント迄、ポーターに、トランクを運んでもらうのだが、
起伏のある地形の為、ポーターが荷物を背負って階段を歩む。
滞在中よく話をした、感じのいい従業員だったのと、
ただゴロゴロ押して行くだけのポーター仕事とは一寸違うので、
気持ちばかりのチップを渡す。
渡す時、「僅かだが」と言うと、彼は礼を言いつつ、「いや、多い」と付け加えた。
日本人の感性とも通じ合う男だった。

午後からは、ヌサドゥアへの移動だ。
ホテルに、Rツアー社の車が来て、出発。
途中、チュルク
(銀細工の村)に寄った後、

ヌサドゥアホテル・ニッコー・バリ)に到着。
チェックイン
本年5月10日に部分開業
(グランドオープンは未だ)した、
nikko hotels international運営の、新しいホテルである。

 

Hotel Nikko Bali(ホテル・ニッコー・バリ)

ホテルのシャトル車(宿泊客用)で、ヌサドゥアの「D.F.S」へ。


夜7時頃、
Tragia Nusa Dua(トラギアヌサドゥア)で買い物。

Galleria Nusa Dua(ギャラリアヌサドゥア)の敷地内で、
ここを訪れる客へのサービス
(フリー)の、
少人数構成ながら、
Khecak(ケチャ)のダイジェスト版(ミニケチャ)?が観られた。
時間も超ショートだが、一応、ラマヤナの踊り手もいた。

敷地内ので食事。

野菜のスープ、チャプチャイ、ナシゴレン、ビンタンビール()、で、25,300.ルピア(サ共)

午後10時前の「D.F.S」の送迎バスで、ホテルに帰る。

「ホテル・ニッコー・バリ」泊。

ホテル ニッコー バリ Hotel Nikko BaliJl.Raya Nusa Dua Selatan, Nusa Dua Bali

11/2()
 
*チャンプアンのホテルは朝食が付いていたが、こちらのホテルには付かないツアー。

ホテルの、正午のシャトル車で、クタD.F.Sへ。
飾り用にこしらえた、ワヤンクリッ
(水牛の革を使った、影絵人形)を買う。US$ 3.
ジャランジャラン。
パンタイクタ通りの
両替\1:Rp.20.35
午後2時過ぎ、クタの
Matahari(マタハリ)」4階で、Bubur(ブブル())を。3,300.ルピア。
4時過ぎ、
Excelsoで、アイスコーヒー、3,000.ルピア。
スーパーの
Gelael Dewata(ゲラエルデワタ)で、
ドリンキングウォーター「
Safe1,500.mlペットボトル、1,090.ルピアや、
ジャワティー、コピバリ、中国茶、インドネシア製造の「丹頂ヘアークリーム」などを買う。

6時の、クタの「D.F.S」の車で、ヌサドゥアの「D.F.S」へ。
ヌサドゥアへ着いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。 

            

ホテルへ帰って、ホテル内のシアターレストランKupu-Kupuで、トロピカルなドリンクを。22,990.ルピア(税サ共)
ホテル内、中国広東料理「桃李(Taoli)で、26,015.ルピア(税サ共)

「ホテル・ニッコー・バリ」泊。

11/3()
午前中、ホテルチェックアウト
この
ホテルのプールには、長いウォータースライダーなどもあって、なかなか良かった。
自然の崖をうまく利用して建てたホテルなので、趣がある。高くて大きな「磨崖
""」なども面白い。

ホテルのシャトル車で、ヌサドゥアへ。
Peminge(プミンギ)の村中をジャランジャラン。

ヌサドゥアの南ゲート付近から、白タク(箱型車)に、「"ニッコーホテル迄 2,500.ルピア"と交渉」して、乗車。
ホテルに戻る。

夕方、ホテルより、ツアー送迎車で、空港へ。
ングラライ国際空港着。
空港税
25,000.ルピア。
空港内の
で、軽食を。6,000.ルピア。
19:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、スカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
(中略)
スカルノハッタ国際空港着
1時間50分程トランジットの後、
スカルノハッタ国際空港発

11/4()
午前6時、関西国際空港着
南海電鉄・空港急行にて帰途に。

1997年(平成9年) 4/4〜4/9 日程6日間 

4/4()
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
関西国際空港
12:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
機内
(座席)は、ガラガラだった。
現地時間17:45、
ングラライ国際空港(デンパサール)

空港に程近い、トゥバンのホテル ラマ バルナチェックイン
部屋は簡素ながら、一戸建て感覚で、なかなか良い
(多少古いが)
リーズナブルなホテルで、コストパフォーマンス高し。

*ドリンキングウォーター「Well(1,500ml.ペットボトル) 700.ルピア、「カルティカデワタ」

午後10時頃、ホテルレストランで、ナシゴレンバリハイビール()とで食事。

ラマバルナ泊。

  *ホテル ラマバルナ Hotel Rama Baruna : Tuban Kuta Bali

4/5()晴れ


 

ラマバルナ」の、泊まった"部屋"

 

 宿泊ホテルレストランで、コーヒートーストの朝食。


本日午前は、

 

 

バロンダンス

舞台中央に、聖獣バロン登場。

 

 

<会場の、ガムラン奏者達>

 

 

終了後、デンパサールへ。

バリ博物館見学後、スーパーの「ティアラデワタ」両替\1:Rp.18.99
「ティアラデワタ」内で、簡単な昼食を済ます。
午後は、「ティアラデワタ」からププタン広場迄歩き、ガジャマダ通りをジャランジャラン。

左手()バドゥン市場を見ながら、バドゥン川の橋を西へ渡り、
タムリン通り迄行って引き返す。
途中の、商店の集中している路では、
たむろしている
"物乞い"の人達が、
わらわらと寄って来た。

 

<タムリン通り>

 

 

<ププタン広場>

20世紀初めの、オランダ()によるバリ島侵攻時に起こった、壮絶・悲惨な出来事を、
今に伝えるププタンの像。

 

 

 

 

 

ププタン広場で写真を撮った後、ジャガッナタ寺院へ行く。

Pura Agung Jagatnata ( Pura Agung Jagatnatha )ジャガッナタ寺院

デンパサールで最も大きいといわれる、バリヒンドゥー教寺院。
境内には、独自の世界
(宇宙)観をあらわす、塔(石灰岩)の祭壇「パドマサナ(写真)」がそびえる。
天辺の、白珊瑚で出来ている椅子は、祭神「サンヒャン・ウィディ・ワサ」の為に在る。

この寺院は、満月の夜には大勢の参拝があるとか。
訪れた日は、ほとんど人もいなくて、閑散としていた。
境内で掃除をしていた男性に挨拶すると、
地面の竹籠を指差して、「それを捲け」と言う。
見ると、帯状の、青い布が何本も投げ入れてあり、
内の1本を借りて腰に捲く。
境内を一巡して、戻って来ると、お布施を求められる。
いくばくか出す。男性、うなずく。

 

午後3時前、「マクドナルド」で、コカコーラ(S)アイスクリームコーンで休憩。
デンパサールの町の中心部で、
ベモ(路線を走る、箱型の、乗合自動車)に乗る。
(中略)

5時頃、ラヤクタ通りの「ゲラエルデワタ」で、食品類を買う。

夜11時頃、滞在ホテルレストランで、ミーゴレンコーヒー

ラマバルナ泊。

4/6()
ホテル近くの、カルティカプラザ通りC-LINEで、アメリカンブレックファースト
クタスクエアの方へジャランジャラン。
「マタハリ」で、少し買い物。4階ので、コピバリを飲む。
昼12時半頃、クタスクエア
K.F.C.で、コカコーラ(S)で、休憩。
ホテルへ戻る。
(中略)
夕食は、西洋ビュッフェを、カルティカプラザ通りのオープンエアの
で。
ミニスーパーの前の、空いている地に設営した、今夜のみ営業の
(不思議な)店だった。

今月9日は、Nyepi(ニュピ)。サカ暦の新年である。

 

 

<6日夜、パンタイクタ通りにて>

 

午後11時頃、ホテルで、隣の"部屋"の客の、お祈りの声が耳に付いた。
大分長い間、朗々と唱うように祈っていた。

ラマバルナ泊。

4/7()晴れ
昨夜の客、今朝も祈っているみたいだ。
なかなか信仰心篤き御仁とみゆる。
後で、トランクを提げたオヤジを先頭に、小学生位の男の子2人がその後に続き、
最後にその母親が付き従って、一列縦隊になって出て行くのを目撃。
オヤジは、インド人の様な服装で、その貌は家長然としていた。ああ、彼等が
"お隣さん"だったのか。
1泊だけだったらしい。
インドネシアの人ではなかったかも知れない。

ホテルの、フリーのシャトル(滞在客用に、朝から夕方迄、クタのラマヤナホテルの所へ1日4往復あり)で、
午前10時半頃、クタスクエア。
(中略)
パンタイクタ通りの
両替\1:Rp.19.18
R.AJA'sで、アイスコーヒーで休憩。
マタハリ4階で、Bakso Kuah(肉団子汁) を。
途中、
「カルティカデワタ」で、缶飲料などを買って、ホテルに戻る。
プールで過ごす。
夕方、
ホテルのシャトル車(最終)で、クタスクエアへ。
R.AJA'sで、ミーアヤムスプライト

夜10時半頃、滞在ホテルレストランで、ミーゴレンコカコーラコーヒー

<7日、クタにて>

ラマバルナ泊。

4/8()晴れ
今日はニュピの前日。
(中略)
プールで過ごす。
午前11時半、
ホテルチェックアウト
クタスクエア。

夕方、ングラライ(デンパサール)国際空港。
空港税 25,000.ルピア。
空港内
で、軽食。
19:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、スカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
スカルノハッタ国際空港着。
1時間半程のトランジット中に、「マクドナルド」で、ハンバーガーホットティー
スカルノハッタ国際空港発。

4/9()
予定より少し早く、午前6時前に、
関西国際空港着
6時15分発、
南海電鉄・空港急行にて帰途に。

1997年(平成9年) 7/17〜7/22 日程6日間 

 旅行代理店に代金支払\114,880。関西空港施設使用料\2,650。関西空港への交通費()

7/17()
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
関西国際空港
12:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。

現地時間17:45、ングラライ国際空港(デンパサール)
空港出口で、出迎えの「ツアー」現地係員社ガイドの車で、
クタの
ホテル イスタナ ラマへ。
チェックイン。スタンダード棟3階の部屋をあてられる。
室内のテレビの映りが非常に悪い。
洗面台の蛇口を捻ると水がひどく漏れて、辺りがビショビショになる。

パンタイクタ通りので、両替\1:Rp.20.90
クタスクエア
「マタハリ」4階で、ナシゴレンソトアヤムで夕食。計 6,050.ルピア(税共)
「マタハリスーパー」で、飲物と蚊取り線香を買って、ホテルに帰る。

イスタナラマ泊。

  *ホテル イスタナラマ Hotel Istana Rama : Kuta Bali

7/18()
ホテルで朝食(ツアーに付く)

移転して、新しくングラライバイパスに出来たD.F.S.へ、歩いて行く。
午後1時、「
D.F.S.」の車で、「プラザバリ」へ。
3時、プラザバリの車で、
ホテルへ戻る。

クタスクエア「マタハリ」4階で、ミーアヤム2,750.ルピア(税共)
(中略)。ファーストフード店C.F.C.で、6.555.ルピア(税共)
ホテルへ戻る。マンディ。

レギャン通りので、ドリンキングウォーター(1,500ml.ペットボトル)1,200.ルピアとスプライトを買って、
帰りに、「マハラニホテル」の
Restaurant & Karaoke Barで夕食。
ナシチャンプルトニックウォーターコピバリ
(2杯分あった)で、計 10,450.ルピア支払い。

イスタナラマ泊。

7/19()
朝、遅く起きる。

昼12時半、「マタハリ」1階の「セントラルクタ」両替\1:Rp.21.03
(中略)ホテルへ戻る。
午後、レギャン通りの
「マクドナルド」で、チーズバーガーアイスティー(レギュラー)を。計 4,000.ルピア。

 

「ホテル ジャヤカルタ バリ」の門内にある、小さなプラ(寺院)で、
小規模なオダランを行なっていた。

 

 

 

 

 

Pura Bagus Taruna

 

 

Jl.Padma Utara Lojiで、ジャムゥのドリンク類やポカリスェット、飲料水を買う。
遅めの夕食を
Wina's 2 Warungという店で。ナシゴレンビンタンビール小。計 5,300.ルピア。
夜遅く、レギャン通りの「
Sari Club(サリクラブ)」の前を通りがかったら、通りより見える店内は、白人客で、大賑わいだった。
「マハラニホテル」の
Restaurant & Karaoke Barで、コピバリ2,200.ルピア支払い。

イスタナラマ泊。

7/20()
こんなに涼しい?バリは初めてである。
ホテルの朝食後、
プール。そのまま、浜辺へ出て、水際を歩いたり、パンタイクタ通りを「
Hotel Kulkul Resort」迄行って、戻って来る。

クタスクエア「マタハリ」1階の店で、腕時計の電池交換。
「マタハリスーパー」で「Mustika Ratu(ムスティカラトゥ)」のシャンプーを買う。
昼は、
「マタハリ」4階で、ミーアヤム3,300.ルピア(税共)
(中略)
クタスクエア
R.AJA'S(ラジャス)で休憩。コピバリ1,500.ルピア。
「マタハリスーパー」で「AQUA(1,500ml.ペットボトル)1,100.ルピアや、各種ドリンク類を買う。
夕食は、「マハラニホテル」の
Restaurant & Karaoke Barで、ナシチャンプルコーラアイスコーヒー(甘過ぎ!)
11,000.ルピア支払い。

午後11時半、突然、宿泊ホテルの部屋がノックされ、外から、男が、「チェックアウトか?」と聞く。何をいっているのか!。

イスタナラマ泊。

7/21()
今日は、昨日とうってかわった様に暑い。
ホテルの朝食。

カルティカプラザ通り「パラディソホテル」内のEl Patio Coffee Houseで、アイスコーヒー4,250.ルピア(税サ共)
高い上に、味は…。
マハラニホテル東隣の
両替店で、両替\1:Rp.21.30
Restaurant & Karaoke Barで、ミークアコーラ、で昼食。8,250.ルピア支払い。

午後4時半、送迎車で、ホテルより空港へと向かう。
ングラライ(デンパサール)国際空港到着。
空港税
25,000.ルピア。
19:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便スカルノハッタ(ジャカルタ)国際空港へ。
スカルノハッタ国際空港着。1時間半程トランジット。
空港内
「マクドナルド」で、ビッグマックコーヒー。計 5,800.ルピア。
スカルノハッタ国際空港発

7/22()
午前6時、
関西国際空港着
JRにて、帰途に。

1997年(平成9年) 8/7〜8/16 日程10日間 

8/7()
JR・関空快速にて、関西空港へ。
関西国際空港
出国手続き後、搭乗迄、「ダイナースクラブ」のラウンジで休憩。
正午少し過ぎの、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
6時間半の空の旅。
午後6時前
(現地時間)ングラライ国際空港(デンパサール)
ツアー
(朝食付)」の現地係員(社ガイド)の車で、
クタはレギャン通りの
フォーティーン ローズ ホテルへ。
チェックイン
(中略)。
歩いて、クタスクエアの
「マタハリ」4階へ。
そこで、ナシゴレンソトアヤム
(具入りチキンスープ)の食事。

フォーティーンローズ泊。

  フォーティーン ローズ ホテル Fourteen Roses Hotel : Jl.Legian Kuta Bali
   表記()としては、複数形になるが、一般には、フォーティーンローズで通っている。

8/8()

 

レギャン通りに面する「フォーティーンローズ
大手旅行会社以外の安いパックツアーで利用されたりする、街中のホテル。

写真左下は、路上の"時計売り"
オメガでも、ローレックス(ロレックス)でも、何でもありま〜す()

シャチョサン、トケイ、ヤスイ、ミルダケタダ」。

(中略)。
クタをジャランジャラン中、外観が朱色の中国寺院と遭遇。
寺名は
「金玉満堂」。境内の、マンガチックな、彩色の狛犬?が可愛い!。
途中の
で、アヤム(鶏肉入)ナシゴレンの昼食。
クタスクエア
「マタハリスーパー」で、シャンプー(サリアユ)を買う。
「マタハリ」1階の、
両替店両替\1:Rp.21.56
(中略)。
レギャン通りの、
「マクドナルド」で、コーラーを飲み、休憩。

クタスクエア「マタハリスーパー」で、AQUA、ポカリスェット、石鹸(ムスティカラトゥ)を買う。
(中略)。
夕方、クタのナイトマーケットへ食事に出るが、まだ時間が早くて、店は準備中だった。
そのまま、ジャランジャランで、クタスクエアの方角へ。
バクンサリ通りの、インドネシア料理
SINGGASANA RAMARestaurant & Barへ入り、
チキンコーンスープと、チャプチャイ
(中華。野菜が主)ナシチャンプルでの夕食。
店内は、陽気なオージーのオッチャン客らで賑わっていた。
歌と生演奏もあり、男声トリオが、客のテーブルを回りながら、その場で、リクエストにも応じていた。
楽しい店だった。午後8時半、食事を終え、店を出る。
すぐ外の路上に、ドッカル
(馬車)の集う一角があり、
帰りは、そこより、ドッカル
(要交渉)の客となり、ホテルへ戻る。

フォーティーンローズ泊。

8/9()
フォーティーンローズ
ホテルの、極めてシンプル()な朝食の後、午前9時、ロビーに集合し、
運転手
.ガイド.ツアー客の数人で、次の宿泊地のUbudへ向かう。
Ubud到着
Jl.Monkey ForestUbud Inn(ウブドイン)に、チェックイン
部屋には、バスタブが無く、シャワーのみ
(一応、温水も出る)
半坪程のマンディルームの、壁面上部に、シャワーの蛇口
(固定式)、下部に洋式便器。
シャワーを浴びれば、当然、便器の蓋は、ボトボトになる。
到着後早々、歩いて、
Monkey Forestへ行く。

 

<Monkey Forestにて

普段は沢山居るが、日によっては、あまり姿をみせない時もある。

 

Dalem Agung Padantegal」という寺院あり。

 

Nyuhkuingという名の、小さな集落の方迄歩く。

 

一度、ホテルへ戻った後、Padangtegal(地名)迄、ジャランジャラン。

 

Padangtegalにて

う〜ん Ubudしてるなぁ

日本では一寸、見ることのない、バリの棚田も良いが、
この
(写真)ような田圃もまた、かっての日本の原風景と重なり、
より、見る者の郷愁をさそう
(小生感) 

 

 

Padangkerta Temple

今夜、*Khecak(ケチャ)は、ここで催される。

*Khecak:上半身裸で、格子柄の腰巻きを身に付けた大勢の男達が
円陣を組み、舌音を発しながら、唱和、展開される、ラマヤナ物語の世界。

 

 

 

 

 

村人に、火事や事件を急報する為に使われていた、寺院内の、鐘楼(の様な)建造物

中央にぶら下がっている木鐸(Kul Kul:クルクル)を叩く。
報せたい事柄により、それぞれ、叩き方、叩く回数が定まっている。バリ式モールス信号?。

 

 

 

 

おなかがすいたので、近くのCafé Rotihという店で食事。

Jl.Monkey ForestApaで、両替\1:Rp.21.95

ラヤウブッ通りTINOで、菓子、牛乳、ドリンキングウォーターを買う。

 *AQUA1,500ml ペットボトル=Rp.1,200.。「Safe」同、Rp.1,200.

夜、7時半からの PadangtegalPadangkerta Temple」に於ける「KHECAK,FIRE AND TRANCE DANCE」へ、ホテルより歩いて行く。

 

"KHECAK"

車座の中の二人(中央)は、ラマヤナの舞踊劇を演じている。

KHECAKも、地域・グループによって、少し違いがあるみたいだ。

 

KHECAK DANCE の後は、低年齢の女の子二人が、目を閉じたまま、同時に同じ舞をするサンヒャンドゥダリと、
地面で椰子殻を燃やし、火の付いた、その砕けた殻の上を、一人の男が、
つくり物の馬にまたがった姿で、裸足で火の粉を蹴散らしながら跳ねまわる
サンヒャンジャラン
(一見の価値あり)の、トランス系ダンス二種が観られた。

暗い中で火を焚き、それが照明とも成って進行する。広い境内には乏しい光量故、肉眼には丁度、写真(下、二枚)の様に映る。

 

"サンヒャン ドゥダリ"

踊りの最後は、踊り手である二人の少女が、気を失ってその場に倒れてしまう。
やがて、僧侶
(右側の白い服装)の振り掛ける聖水により、正気にもどって、終わりとなる。

 

 

"サンヒャン ジャラン"

燃えさかる椰子殻を、演者が四方八方に蹴り散らかし、別の者が、それを、竹箒で中央に掃き寄せる。
そして、寄せ終えたとみるや、またも演者はそれを、踏み、はじき飛ばす。その一連の動作が何度も繰り返された。

火の付いた物が、観客の足元近くにまで飛んで来るし、火の粉と熱気とで、
席が前の方の客などは、ワーワー言いながら逃げ惑う。
これぞ、バリ版「火渡り式」。
いやー、これは、今夜のハイライトであった。

 

 

帰る道すがらのレストランで夕食。
店の名は失念したが、味も雰囲気もマアマアの
だった。

Ubud Inn 泊。

8/10()
ホテルで朝食。
今日の予定は、
アユン川でのラフティングだ。
午前8時より、
ホテルのフロント付近で、ピックアップの車を待つ。
やがて、若い男が一人、ジープを運転してやって来た。
客数人が乗り込む。出発。
(中略)
現地
(Ubud)到着。

長い石段を歩いて降りきった所に、川下りボートの出発地点はあった。
やがて、係員の指示で、インストラクター?の男性一人と、
ヘルメット・ライフジャケットを身に付けた客五人の、
計六人が、ひとつのゴムボートに乗り込む。
辺りには、豪州、台湾、日本、その他、方々からやって来た団体・個人旅行客の楽しそうな声が弾む。
それを聞くこちらも、これから始まるラフティング体験に期待がふくらみ、自然と心が躍る。

いよいよスタートである。

途中、ボート対ボートの、笑顔の、"オールを使っての、水掛け応酬戦"などもあり。
(中略)
やがてそのうち、ボートが、岩場の、わりと流れの急な所を過ぎ、
周りの景色を眺めながら、穏やかな流れに身を任せられるようになる。ゴールが近づいたしるしである。
すごく楽しかった。
着いた所から、また石段を上り、車に乗せられて、ハウス
(近い)へ行く。
そこで、シャワーを浴び、
"ラフティング"に付いている昼食(カレーライス)
食後、すぐ、送迎車で
ホテル迄戻る。
(中略)

今夜は7時半から「プリサレンアグン」で、"レゴンダンス"を観るつもりだ。
夕食は、その前に、プリサレンアグンの前にある
Avy's Warungで済ます。

天候不順により、今夜のダンス会場が、プリサレンアグン庭より、劇場側に変更された。

当日のパンフレット(部分)

ダンス終了後、近くのtinoで、少し買い物。

 

 

 

Jl.Raya Ubud の、とある店先で。

Cicak(チチャ)

バリ島では普通に見かける小さなヤモリで、
夜間、照明に集まる小型の虫などを補食するため出没し、
電灯付き看板や壁面で、何匹も目にする。
体色は薄い灰色で、明るい所では白っぽく見える。
昼間でも、石像の上などに、ちょこんと乗っていたりして、なかなか可愛い。
大型種の
Toke(トッケ)とは、全くの別種である。

ホテルへ帰る。
(中略)

Ubud Inn 泊。

 

 

8/11()
午前は、ジャランジャランで過ごす。
(中略)

Pasar Ubud(ウブッ市場)

 


ホテルへ戻ってから、レンタサイクル(マウンテンバイク)で、チャンプアン方面へ走る。
チャンプアン橋そばの
MURNI'S WARUNG(ムルニーズワルン)へ。
店内の階段を一番下迄降り、席に着く。外の緑が濃い。
ここからの眺めは素晴らしい。崖の岩肌も渓流も真近に迫ってくる。
ナシゴレンスペシャルで、昼食。

ホテルへ戻る。
マウンテンバイクで、
Monkey Forest より南にある Pengosekan 村まで行く。

Pengosekan 村にて」

子供達のバリ舞踊稽古風景。先生は、男と女の、計二人いた。

 

 

 

(中略)
夕食は、プリサレンアグン前付近の
レストランで。
店の者が、相席でもよいかと聞くので、同意する。
案内されたテーブルには、婦人客二人がいた。
二人は友人で、ドイツから来たという。一人は教師で、もう一人は、ソーシャルワーカーだと。
教師の方のステディは、フランクフルトで東洋の美術品を扱う古美術商だそうだ。

教師の方は、相当な話し好きとみた。

夜中、雨。

Ubud Inn 泊。

8/12()
午前、ホテルから Ubud(少し遠方迄)をジャランジャラン。
Ubud Inn チェックアウト
Jl.Monkey Forest ワルンで、アイスティー。
正午、
ホテルへ送迎車が来る。クタへ向けて出発。
レギャン通りの
フォーティーンローズに到着。再チェックイン
カルティカプラザ通りに新しく出来た
「ウォーターボムパーク」という大型プールに、どんなものかと行ってみる(入場)
入場料が非常に高い上、内で、脱衣の為のロッカー代も取る
(それも高い!)
高さのあるウォータースライダーがあり、浮輪に乗っていると流れていくプールも一応のウリらしいが、いってみればそれだけである。
客は、見たところ、ほとんどが台湾からの団体客で、日本人客も少数だがいた。白人客の姿は、あまり見かけなかった。

早めに出る。出入口(券売所)の所で、出て来た台湾人客が、職員に、「マハール(高い)、マハール」を連発していた。

夕方、クタスクエア「マタハリスーパー」で、AQUAやカップ麺などを買い、ホテルに帰る。

夕食は、バリ滞在中、出来れば一度は訪れる様にしている、レギャンの北にあるワルンで。遠いが、歩いて行く。
蟹とコーンのスープナシチャンプルドリンキングウォーターSコピバリ
今日のウォーターボムパークの料金
(入場+ロッカー代)で、この店なら、夕食が6回とれる。
(中略)
帰路、午後9時一寸過ぎ、レギャン通りの北の、集会所で、大勢の若者が、ガムランの稽古をしていた。
レギャンも北の方は、この時刻になると人影も途絶えがちになる。
暗い路のそこかしこで寝そべっている犬が、やけに目についた。
(中略)
10時少し前、
ホテルに戻る。
マンディしようと、シャワーの栓を捻るが、湯が出ないので、フロントへ言いに行く。
しばらくして、直し?に来るが、変わらず、結局、水を浴びて終える。

フォーティーンローズ泊。

8/13()
ホテルの、至ってシンプルな朝食。
ジャランジャランで、クタスクエア
「マタハリ」
Jl.Pura Bagus TarunaBAM BOOPALACE(バンブーパレス)」で、フーユンハイドリンキングウォーターS、コピバリの昼食。
クタスクエア近くのパンタイクタ通りの、カセットテープ屋の
両替(兼業)で、両替\1:Rp.22.75
レギャン通りの
「マクドナルド」で、アイスクリームとコーラで休憩後、オダラン"見物"

[オダラン行列]当日の模様は、バリ写真室をご覧下さい。
午後4時、行列先頭が、レギャン通りの Pura(寺院)を発つ。
5時、浜に到着。
セレモニー。
6時50分頃、終了。各々、
Pura へと戻って行く。

8時、ホテルに戻る。
風呂の湯や水が、チョロチョロとしか出ない。ホテルに言うと、
"○号室に替わってくれ"と言うので、部屋を替わる。
9時頃、外出。
メキシコ料理
Poco Loco(ポコロコ)」へ入る。店内は広く、活気があり、大勢でものすごく盛り上がっていた。
客のほとんどが、非アジア系だった。料金は高めである。
レギャン通りの
「サークルK」で、飲物を買って、10時50分頃、ホテルに戻る。

フォーティーンローズ泊。

8/14()
()
夕食は、「ホテル
ジャヤカルタ バリ」前の、Topi Koki(トピコキ)」で。
魚、野菜、ライス、アクア、コピバリを頼んで、一応、コース?を。
店の、価格、接客、雰囲気共に良し。
(中略)
レギャン通りの
「サークルK」で、飲物を買って、ホテルに帰る。

フォーティーンローズ泊。

8/15()
宿泊
ホテルの「朝食」が、あまりに貧相なので、今朝は豪勢にいこう()と、
別に、メニューに書いてあったオムレツ
(Rp.1000.)を注文してみる。
これが、何のことはない、具も何もない、ただの卵焼き
(卵1個分の)だった()
正午前、
フォーティーンローズホテルチェックアウト
クタスクエア「マタハリ」1階の
両替店で、両替\1:Rp.22.65
(中略)
午後、送迎車で、
ングラライ(デンパサール)空港へ向かう。
空港税
25,000.ルピア。
(中略)
搭乗予定の、
シンガポール航空 SQ-147 17:45 チャンギ(シンガポール)空港行が、
初めの案内放送では、
19:00発に。次の放送では、20:00発に。と、出発の遅れが重なり、
結局、
チャンギ空港へ着いた時には、乗る予定だった日本航空 JL-722便は、飛び立った後だった。
すぐ、
SQのカウンターへ行き、次の、23:55 シンガポール航空SQ−986便に乗れる様にする
(この便も、出発が、23:55 24:30(現地時間16日午前0時半)と遅れた)

8/16()
朝、
関西国際空港着
09:05発、
南海電鉄・特急ラピートにて帰途に。

1998年(平成10年) 2/10〜2/15 日程6日間 

 旅行代理店に代金支払\140,456。関西空港施設使用料\2,650。関西空港への交通費()

2/10()
早朝、小雨。嫌だなと思っていたら、一応止んで、曇り空。
JR・特急はるかにて、関西空港へと向かう。
やがて、空港近くになり、電車が鉄橋を渡りはじめる、周りの音が変化する。この瞬間がなんとも好きだ。
辺りの海や空の景色が相まって、心がゆったりとする。日常の生活からの解放感からだろうか。

関西国際空港
12:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。
現地時間18:00、
ングラライ国際空港(デンパサール)
出迎えた「ツアー
(ホテルの朝食無し)現地係員の、社ガイドの車で、
レギャンの
ジャヤカルタ バリへ。
この
ホテルでの宿泊は、2度目だ。チェックインを済ませ、午後7時頃、部屋へ。
部屋では、蚊が待ち受けていた。
旅装を解き、徒歩で、クタのまちへ。
スーパーマーケットで、相当なインフレ状況を実感。
ドリンキングウォーターが、えらく値上がりしていた。
帰り道、
ミニスーパーで、スプライト(350ml)を買う。1,600.ルピア。
深夜、宿泊
ホテルコーヒーショップで、
蟹のスープ、ナシゴレン
(小サテ付)、コピバリ(ポット)の食事。パン2ヶが付いてきた。
24,800.ルピア(税サ共)
食事中、蚊に、足を何カ所も刺された。
マンディ。
ジャヤカルタバリ泊。

*ホテル ジャヤカルタバリ Hotel Jayakarta Bali : Jalan Pura Bagus Teruna Legian

2/11()晴れ
ホテルの従業員のノックで、午前8時頃起こされる。ドアに「Don't disturb」の札を掛けて、また寝る。
昼過ぎに起き、午後から、歩いてクタへと向かう。
レギャン通りの
Lojiで、コカコーラ()とアイスを買う。
(中略)。
クタスクエア「マタハリ」1階の、
両替店両替\1:Rp.50.45
「マタハリスーパー」で、Tシャツ2枚を購入。39,800.ルピア。

パンタイクタ通りにて

レギャン通りので、蚊取り線香、ファンタオレンジ()、アイスキャンデーを買う。
午後8時頃、
ホテル近くのワルンで夕食。
蟹とコーンのスープ、ナシチャンプル、ドリンキングウォーター
[]、コピバリで、計 6,200.ルピア。
(中略)。
ジャヤカルタバリ泊。

2/12()晴れ
今日は、朝にバロンダンスを観た後、今夜の宿泊ホテル、ジンバランの
リッツカールトン
バリ」へ向かう予定である。
ジャヤカルタバリチェックアウト
ホテルで、コピバリとトーストの、朝食を済ます。7,900.ルピア(税サ共)
近くの
(他のホテル内)で、ココナッツジュースを。2,000.ルピア支払。
ガイドの迎えの車で、
ホテルを出発。
バロンダンス会場到着。
約1時間の
ダンス鑑賞を終え、車に。
途中、トパティに寄った後、デンパサールの、クンバサリショッピングセンターバドゥン市場へ。

 

バドゥン市場

手前のドリアンを買って食べた。1個 6,000.ルピア。

雨期(雨季)の市場には、マンゴー、パパイヤ、マンゴスチン、ランブータンなどの
果物が豊富に並ぶ。

 

バリの暦(カレンダー)を購入。2,500.ルピア。
車に戻り、出発。
昼食
(ツアーに付く)は、「D.F.S.」内の中華レストラン「EMA」。美味だった。
食後、出発。

リッツカールトン バリに到着。
ジンバラン南部に、新しく出来た高級ホテルである。
この
ホテルは、ジンバラン地区でも、「インターコンチネンタル」から、さらに南、「フォーシーズンズ」の一つ先に在り、
ホテル近辺には、道路以外何にも見当たらなかった。

建物は開放的で明るく、室内も高級感漂う造りになっていた。シャワーブースも付いている。
部屋に、
AQUA2本(無料)が備えてあり、置いてあるアメニティグッズも充実していた。
滞在客の為に、クタ
(クタスクエア)ヌサドゥア(ギャラリア)へ、それぞれ1日3便ずつの、ホテルのシャトル車(フリー)有り。
従業員の接客態度も、慇懃である。
そして、値段も
"高級"であった。このことは、のちに実感することになる。

ホテル棟、部屋前の廊下

夕方、外出。夕食は「プラザバリ」内「仙島中華海鮮料理」で、四川風坦々麺を賞味。4,600.ルピア(税サ共)
午後7時45分のプラザバリの送迎車で、
ホテルに戻る。
空港が近いので、部屋に居ると、時折、低空を飛ぶジェット機の音が聞こえる。
リッツカールトンバリ泊。

*リッツカールトン バリ THE RITZ-CARLTON BALI : Jalan Karang Mas Sejahtera Jimbaran

2/13()
午前10時15分のホテルのシャトル車で、ヌサドゥアへ。
郵便局で、葉書に貼る切手(日本宛送料分)1枚を購入。1,000.ルピア。
昼は、トラギアショッピングセンター内
「ケンタッキーフライドチキン」で済ます。
コーンスープ、ライス、ペプシコーラ「S」で、計
4,800.ルピア(税共)
「トラギア」スーパーで、ドリンキングウォーターとグァバジュースとコカコーラを買う。
  ドリンキングウォーター 1,500mlペットボトル=Rp.1,250.
午後1時15分ヌサドゥア
(ギャラリア)発の、ホテルのシャトル車で、ホテルに戻る。


プールで過ごす。
ジャグジーなどもあって、なかなか素敵なプールであった。

プールデッキで、ジンジャエール(21,780.ルピア[税サ共])を頼む。
この1杯の代金が、一昨日の小生の夕食代の3倍半だった()

 

 

 

 

夕食はホテル「PADI(パディ)で。
ビンタンビール
[]、ココナッツスープ、ナシチャンプル(辛かったので、残す)、コピバリを注文。他に、パンなどが付いてきた。
210,359.ルピア(税サ共)
ステージの女性歌手がリクエストを受けるというので、小生の好きな曲「
RANGKAIAN MELATI」をリクエスト。
別に頼まなかったが、気を利かしたのか「
BENGAWAN SOLO(ブンガワン ソロ)」も歌ってくれた。

もっとも、日本人で、この歌を懐かしむ人も、いまは少なくなったであろう。
9時20分頃迄居て、部屋へ戻る。
リッツカールトンバリ泊。

2/14()晴れ
朝食は、昨夜と同じ、
ホテル「PADI」で摂る。ビュッフェ。
206,910.ルピア(税サ共) Rp.50.45 \ 1.
日本の一流シティホテルの朝食
(ビュッフェ)代と同等、あるいは、それ以上の金額。
このホテルが、いかに浮世離れ
()しているかがおわかりいただけよう。
品数が少なく、総体的に大味のビュッフェだった。
(中略)
ホテルチェックアウトして、午前11時30分のホテルのシャトル車で、クタ(クタスクエア)へ。
「マタハリ」で、衣類の買い物。絵葉書1枚、1,000ルピアも購入。
ファーストフードの
で、昼食代わりを。5,950.ルピア。
クタスクエアの、
"ホテルのシャトル"乗車場所へ戻る。
午後2時30分出発のはずが、
"2組の客がまだ来ないので、待ってほしい"と運転手が言う。
オーストラリアからという中年の白人女性一人と待つ。
やがて2組来る。すぐ出発、2時37分頃だった。
リッツカールトンバリ着。
フロントに、日本宛ての絵葉書を託す。
(中略)
夕方、ガイドの迎えの車で、
ングラライ国際空港へ。
空港税
25,000.ルピア。
(中略)
空港内「プラザバリ」階上の
「プラザバリ・スカイラウンジ」という店で、コーヒーで、軽食を。8,000.ルピア。
19:20発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、
スカルノハッタ国際空港
(ジャカルタ)へ。
スカルノハッタ国際空港着。トランジットの後、
EG−222便で関西国際空港へ。

2/15()
06:00、関西国際空港着
JR・特急はるかにて帰途に。

1998年(平成10年) 4/28〜5/4 日程7日間 

4/28()
JR・特急はるかにて、関西空港へ。
「ダイナースクラブ」の、
(空港)ラウンジで寛ぐ。
12:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、一路バリ島へ。

機長の機内アナウンスで、眼下に、バリ島の霊峰アグン山を。雄大だ。
現地時間17:45、
ングラライ国際空港(デンパサール)
レギャンの
ホテル バリマンディラチェックイン後、夜のレギャン通りへ。
バリマンディラ泊。

*ホテル バリマンディラ Hotel Bali Mandira : Jalan Padma Legian Beach BALI

4/29()
ジャランジャランで、パンタイクタ通りの
「マハラニ」で朝食。
午前11時頃、
ホテルに戻る。
ホテルで昼食。
(中略)
クタスクエア「マタハリ」1階の、
両替店両替\1:Rp.58.65
夜更けに、
ホテルで食事。
バリマンディラ泊。

4/30()
午前7時頃、起床。
パドマ通りの
F'JS Restaurant & Barで朝食。
午前9時半、
ホテルに戻る。
今日は
火葬式Ngaben(Cremation)のツアーの日だ。
午前10時半、ピックアップの車が
ホテルに来る。
乗り込むと、先客に、ロンドンから来たというカップルが。
直ちに出発。

現地到着。

 

葬儀を出す家の前にあった「バデ

この台の上に棺を置き、何人もの男達で担ぎ、火葬場まで運ぶ。

 

 

 

 

 

遺族の人々

亡くなったのは、この家のおばあさん

孫だという若い男性が来て、会釈を交わした後、彼としばらく話。

一昨日亡くなったという。

バリ島で、こんなに早く、単独で葬式を行なえるのは、この家の経済力の証か。

 

屋敷内の、()

後で、棺を傾けて、解けた氷の、大量の水を抜いていた時、

このおばあさんの足が見えた。合掌。

 

 

 

 

<輿に乗る少女>

孫とかいっていた。

葬儀の重要な担い手だ。

 

 

 

 

火葬場へ向け、数百人の列が動き出す。

そして、ガムランの音()が鳴り響く。

 

 

 

 

担がれる「バデ」。

 

 

 

 

 

 

途中の分かれ道で、ぐるぐる回転する「バデ」。

"死者が戻ってこれなくする為"とか(家への道がわからなくなる様に)。

 

 

 

 

 

 

川の中を粛々と進む。

 

 

 

 

の〜んびりいきましょう!。

 

 

 

 

こちらは重いし、バランスをとるのが大変。

あともう少しで、火葬場だ。

がんばって!。

 

 

 

 

火葬場。

専門職により、着火用意!

 

 

 

着火!。

ファイヤー!!。

 

 


来たときの車で、
ホテルに、午後3時頃戻る。
(中略)
夕食は、「ホテル
パドマバリ」内「天海」で。"刺し身定食"というのを食べたが、
海外リゾート地によくありがちな、いわゆる和食もどきなどではなく、
立派な和食であった。味も価格も納得できた。
接客態度も穏やかで、いい。店装も落ち着いた雰囲気である。
バリマンディラ泊。

5/1()
パドマ通りのSurya Café & Beach Barで朝食。
ジャランジャラン。
途中寄ったクタ市場では、水槽で泳ぐ鯰を、計り売りしていた。もちろん食用である。
(中略)
午後6時過ぎて、
ホテルに戻る。
7時45分頃、お気に入りの、レギャンの
ワルンで、
野菜のスープ、ナシチャンプル、コピバリ、の夕食。1時間程居た。
(中略)
バリマンディラ泊。

5/2()
ホテル近くのWr.Ketutという店で朝食。
ラヤスミニャック通りの
「漁師」で昼食。
ひととき、
ホテルのプールで過ごす。

夕方、タクシーで、ウブッへ向かう。
モンキーフォレスト通りで降り、「プリサレンアグン」の方角へ歩いているうちに、暗くなり、
おまけに、辺り一帯が停電する。
しばらくして、復旧した。


午後7時少し前、「プリサレンアグン」近くの、
プリサラスワティーバンガローへ行き、チェックイン
チェックイン時、宿賃前払い。


<泊まった部屋(1戸づつ独立している)扉は、観音開き。南京錠。

 

プリサレンアグン」で、7時半から催される"Legong Dance"を観に行く。
今夜の出演グループは、「
Bina Remaja」だ。

 

PUSPA WRESTI 

 

LEGONG KRATON 

 KEBYAR DUDUK DANCE 

 

 

 

 

 

 

 OLEG TAULILINGAN

 

9時終演。
外へ出たら、停電だった。そのうち復旧。
付近の
CASA LUNAで、ナシゴレンとナシチャンプルの食事をし、
「プリサラスワティーバンガロー」へ戻る。

 

浴室天井の、トッケくん(大守宮)

浴槽が、あまりに…なので、入浴はあきらめて、温シャワーを浴びる。
シャワー中に停電。真っ暗になる。一寸先も見えぬ。2分程で復旧。

ここは、吉本ばななの短編、『バリ夢日記』にも登場する、
味わいのある宿ではあるが、
天井が腐って、めくれていたりして、方々に老朽化が目立つ。

 

11時、どこかの鶏が啼き続ける。
やがて止んだ。

今時分だが、トッケではなく、鶏であった。

 

 

プリサラスワティーバンガロー泊。

*プリサラスワティーバンガロー Puri Saraswati Bungalows : Ubud Gianyar BALI

5/3()

 

プリサラスワティーバンガロー

午前9時前、宿の食堂で、付いていた朝食を摂る。

「プリサラスワティーバンガロー」チェックアウト

 

Jamu(ジャムゥ)売りの女性」Ubudにて

様々な効能をうたう、インドネシアの飲料。別に、液状でないものもある。


 

 


昼12時半、モンキーフォレスト通りから出ている
クタ行きのシャトルバスに乗る。
7人程の客の内、途中からの、白人女性3人組の荷物が異常に大きくごつくて、
数個、車内を占領し、人と荷物で大変窮屈だった。
係員も初め、首をかしげていたが、苦労して、なんとか押し込んでいた。
この3人組の内、1人の体臭が強烈で、いささか閉口した。
午後2時頃、クタの、ベモコーナーの近くに到着。
(中略)
夕方、
ングラライ国際空港へ。
空港税
25,000.ルピア。
(中略)
20:10発、
日本アジア航空(JAA)EG−221便で、
スカルノハッタ国際空港
(ジャカルタ)へ。
スカルノハッタ国際空港着。トランジットの後、
EG−222便で関西国際空港へ。

5/4()
朝、
関西国際空港着
07:15発、
南海電鉄・空港急行にて帰途に。

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